拝啓。
すっかり秋めいてきましたね。
京都の朝晩は風が寒いほどです。
東京はまだ暑いですか。
予告通り手紙を書きます。
Aさんには、私の家族の話をしたことがないかもしれません。
いつもAさんが家族のお話をしてくださるので、今日は私が話そうと思います。
私の父は大変賢く、アメリカの大学と大学院を卒業するまでオクラホマやロス、オハイオで十数年間住んでいたようです。
知見が深く、オモシロイ人だと皆言います。
「自由奔放」を体現したような人です。
しかし、「自由奔放」は時に悪く働くことがあります。
父は仕事にこだわらず、束縛のない生き方を選んだことで、私の母にたくさん迷惑をかけてきました。
大した稼ぎもせず、借金を膨らませていたこともありました。
一度、父の失踪事件がありました。
それはまるでアガサ・クリスティの失踪事件のようでしたが、決してその後父がベストセラー作家になることはありませんでした。
むしろ、アガサのように心の傷を負うことになったのは母の方です。
つまり、父は失踪中に別の女性と愛し合っていたわけです。
母はもう半狂乱でした。
これは結構すごかったです。
母はそこそこ綺麗な人ですが、残念ながらその点に於いて、私にその遺伝子は受けつがれなかったようです。
母は、中流階級の家庭で育ち、中高はヤンキー時代(タバコを吸ったり厚化粧をしたり)こそあったようですが、根は我慢強く真面目で、しかしアンチモンみたいに脆い人でした。
一度、兄が大学受験、私が反抗期真只中の頃、母が兄の部屋を恣意的に掃除し、本棚をいじったことがありました。
受験が迫ってくるとセンシィティブな気持ちになり、些細なことがストレスになったりします。
受験を控えた兄は、母が自分の本棚をいじったことが許せなくなって、母に強くあたったことがありました。
普段なら母は少し逆ギレをして終わる程度でしょうが、当時、母には父の借金の電話がかかってきたり、息子・娘には反抗されるし、兄の受験を相談するはずの父のいない不安で押し潰されそうになったり、延いては父の浮気が明るみに出たり・・・と大変抱え込んでいる時期でした。
兄も私もそんなこと知ろうはずもなく、兄の一言によって導火線が雷管に達し、母は大爆発を起こしました。
急にドンドン!!という衝撃音と、母と兄の叫び声がしました。
母爆発時に兄の隣の自室で本を読んでいた私は、吃驚し、すぐ兄の部屋に向かいました。
母が、泣き叫びながら本棚のありとあらゆる本を全て引き抜き、本を破いたり、兄に投げたり、地面に叩きつけたりしていました。
兄は頭に血が上っているようで、ただ叫んで今にも母を殴りそうでした。
私は母を抱きしめて、母に抓られながら兄に殴られ。
(この時は「なんで?」とは思いませんでしたが、今思えば、なんで?)
ことは次第に治まりましたが、あの時の母の表情は、忘れられません。
今考えれば、時に気丈にみえる人には必ず綻びや、内で抱える脆さ、負の歴史があって、母はそれを必死に隠そうと、ずっと我々兄弟の「親」でいようと頑張っていたんだと思います。
私は母の胎から生まれたことを誇りに思います。
あの脆いアンチモンだって、レアメタルですから。
本当にありがたい。
こう書くと父は悪者の塊みたいに見えますが、本当は、根っからのいい人なんです。
いい人が浮気なんかするかよ、という意見もあるかもしれませんが、そう思う方は同じ倫理観を持った方と一緒になったらいいと私は思います。
私の考えとしては、男性が女性一人に理想を全て完結できるというのは稀有なことで、女性に全く問題がなかったとは言い切れないだろうと。
それは男性のみならず女性にも適応しうると思います。
「不倫か…欲深いな、後先考えてるんだろうか」とは思いますけどね。
先日帰郷して、呼吸器の付けられた眠ったままの父の顔を見たとき、あんなに憎かったはずなのにすごく涙が出てきて、「あぁ、親父なんだな」と当たり前のことを実感しました。
久々に母の顔を見て、皺が増えたな、とも思いました。
憎かったものをどっかに置き忘れてきちゃったかな、と思うほど心の波が穏やかな一方、自分の気分が沈んでいく感覚がありました。
私の気分が沈んでも、助けてくださったのは周囲の方々でした。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありってやつですね。
ほんと、私って周りの人に恵まれていて、運がいいなって思います。
そして大変お気遣い下さったAさんに私がとても感謝していることを、ここで述べておきます。
長くなりすぎましたね。
キリがないのでこの辺で。
季節の変わり目、どうかお身体にお気をつけて。
風邪が早く治って体力がつきますように、お祈り申し上げます。
匆々頓首
宮城
T・A様足下
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家族の話(Aさんへ)
送付日:2015/09/10