miyaginagako

ひきこもごも 書簡録

気が向いたら書く

 書簡録

生物科のヒト

春が来たというのに、連日雨続きで頭がつかえそうなほど雲が低い。
これじゃあせっかく満開の桜も散ってしまうだろう。

叡電に揺られて外を見ていると、ときどき晴れ間がのぞいて壮大な虹がかかったりする。
「おっ」と思うと、数分もすればまた灰色。
まるで教授の圧政に苦しんだ研究室時代のようだ。

曇天下の桜

春休みの今、私は塾でバイト漬けの日々を送っている。
8年前のデジャヴだ。

4月から生物科配属になった。
生物科は、昨年度に医学生が実習が始まるからと一斉に退職したため欠員中なのだ。
編プロ歴と臨床検査専攻を見込まれ生物科にいる。

生物科は現役科の副塾長、私と同い年の女性正社員・Kさん、私の3人しかいない。

国語科にいたときから、生物科の独特な雰囲気は噂で聞いていた。
なんせ副塾長が変な人で有名なのだ。
今ならよくわかる。

先日の懇親会で先生の隣になったとき、おしりとおっぱいどちらに魅力があるかという話になった。

私がおっぱいを推すと、おしり派の先生が謎の‟方法的おしり懐疑論の否定”を唱えてきた。

かつてフランスの哲学者デカルトは、徹底的な懐疑を通じて確実な心理に迫ろうとした。
目の前にあるおしりの存在について徹底的な懐疑の念を持つべきだ。
今そこにあるおしりは何か。
それを飽かず見る己はいったいなにか。
それを繰り返し問い続けるうちに、おしりは世界の中で私と対峙する一つの純粋な存在として抽象化され、私を理不尽に魅了することを辞めるはずだった。

にもかかわらず、私は女性のおしりが好きなのだ。
性欲…いや遺伝子レベルでの生存本能による方法的おしり懐疑論の反例だ、と。

先生の進化論はこうだ。

大昔、人間は四つん這いになって歩いていた。
それゆえにその時代、おっぱいは普段見えない位置にあったから、雄たちはまったく気にしなかった。

長くおしりの時代が続いた。

だが人間が進化して二足歩行をするようになると、おしりのカリスマ性は少しずつ衰退し、変わって圧倒的な勢力を持って台頭したのがおっぱいだ。
なにせ見やすい場所にあり、しかもおしりに相似形だから、みんな勘違いして興奮したんだ。

逆立ちして歩くように進化していたら、ざらざらした膝小僧に興奮していたかもしれない。
おっぱいに絶対性などない。
むしろあるのはおしりだ、と。

そのときの先生の表情と言ったら、入塾説明より真剣だった。
何言ってんだこの人は。

 

かたやKさんはいま、年下の大学院生にお熱だ。
付き合いたてで不安なことが多いそうで恋愛相談をされるが、年下に惚れたことがないので言葉に詰まる。

楽しそうでうらやましいと伝え女子トークが盛り上がってきたところで、副塾長がバッタの繁殖方法を語り出して見事に場をしらけさせる。

恋愛観についてどこまで客観的な本音を挟むのか、私は男女で対応を替えているように思う。

男性には率直な意見を言う。

女性には「共感」をオブラートして本音を伝える必要がある気がして、遠回りな言い方をしてしまう。

その点、Rとは本音で話せるから本当にありがたい存在だ。
なかなかここまでご縁が続く友はいない。

 

そんなわけのわからない生物科に配属された私だが、いつ塾を辞めようか考え中だ。

なんせ来年2月に国家試験、模試の成績次第で就活スタートのタイミングが変わるのだから。
早く新入生入ってきてくれないかな。

とにかく今は、この生活を一生懸命生き抜こうと思う。

かしこ

宮城拝

R様足下

ー------------

送付日:2024/04/20