miyaginagako

ひきこもごも 書簡録

沖縄出身、京都在住。主に友人との文通の記録です。送ったら何かいたか忘れちゃうから。

 書簡録

春の挨拶

光陰矢の如く、ついに春の季節ですね。

まだ梅の頃ですが、Sさんならまた私の文を読まずに、時が経ってからなら読んで下さるかも、と思って、少し先の桜の頃の時柄をお送りしますこと、お許し下さい。

まだ少し冷えますが、お身体崩されたり等されてはいませんでしょうか。

春寒料峭のみぎり、どうかご自愛専一にますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

かしこ
宮城拝

S・S様 足下

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春の挨拶(Sさんへ)

送付日:2017/03/02

インドネシアの友人

Hi.

How have you been? I’m doing good :)

Time flies…:(

It’s already spring!

How is the weather there?

It’s still chilling here.

I remembered last fall’s fun things after seeing this postcard.

Did you remember the walking around Kiyomizu-tenple?

That became a great fall memory that I cannot forget.

I wanna see you next time!

Cheers, Miyagi

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インドネシアの友人(Fへ)

送付日:2017/03/02

家族の話

拝啓。

すっかり秋めいてきましたね。
京都の朝晩は風が寒いほどです。
東京はまだ暑いですか。

予告通り手紙を書きます。

Aさんには、私の家族の話をしたことがないかもしれません。
いつもAさんが家族のお話をしてくださるので、今日は私が話そうと思います。

 

私の父は大変賢く、アメリカの大学と大学院を卒業するまでオクラホマやロス、オハイオで十数年間住んでいたようです。
知見が深く、オモシロイ人だと皆言います。
「自由奔放」を体現したような人です。

しかし、「自由奔放」は時に悪く働くことがあります。
父は仕事にこだわらず、束縛のない生き方を選んだことで、私の母にたくさん迷惑をかけてきました。
大した稼ぎもせず、借金を膨らませていたこともありました。

 

一度、父の失踪事件がありました。

それはまるでアガサ・クリスティの失踪事件のようでしたが、決してその後父がベストセラー作家になることはありませんでした。

むしろ、アガサのように心の傷を負うことになったのは母の方です。

つまり、父は失踪中に別の女性と愛し合っていたわけです。
母はもう半狂乱でした。
これは結構すごかったです。

 

母はそこそこ綺麗な人ですが、残念ながらその点に於いて、私にその遺伝子は受けつがれなかったようです。
母は、中流階級の家庭で育ち、中高はヤンキー時代(タバコを吸ったり厚化粧をしたり)こそあったようですが、根は我慢強く真面目で、しかしアンチモンみたいに脆い人でした。

一度、兄が大学受験、私が反抗期真只中の頃、母が兄の部屋を恣意的に掃除し、本棚をいじったことがありました。

受験が迫ってくるとセンシィティブな気持ちになり、些細なことがストレスになったりします。

受験を控えた兄は、母が自分の本棚をいじったことが許せなくなって、母に強くあたったことがありました。
普段なら母は少し逆ギレをして終わる程度でしょうが、当時、母には父の借金の電話がかかってきたり、息子・娘には反抗されるし、兄の受験を相談するはずの父のいない不安で押し潰されそうになったり、延いては父の浮気が明るみに出たり・・・と大変抱え込んでいる時期でした。

兄も私もそんなこと知ろうはずもなく、兄の一言によって導火線が雷管に達し、母は大爆発を起こしました。

 

急にドンドン!!という衝撃音と、母と兄の叫び声がしました。

母爆発時に兄の隣の自室で本を読んでいた私は、吃驚し、すぐ兄の部屋に向かいました。

母が、泣き叫びながら本棚のありとあらゆる本を全て引き抜き、本を破いたり、兄に投げたり、地面に叩きつけたりしていました。

兄は頭に血が上っているようで、ただ叫んで今にも母を殴りそうでした。

私は母を抱きしめて、母に抓られながら兄に殴られ。
(この時は「なんで?」とは思いませんでしたが、今思えば、なんで?)

ことは次第に治まりましたが、あの時の母の表情は、忘れられません。

 

今考えれば、時に気丈にみえる人には必ず綻びや、内で抱える脆さ、負の歴史があって、母はそれを必死に隠そうと、ずっと我々兄弟の「親」でいようと頑張っていたんだと思います。
私は母の胎から生まれたことを誇りに思います。
あの脆いアンチモンだって、レアメタルですから。

本当にありがたい。

 

こう書くと父は悪者の塊みたいに見えますが、本当は、根っからのいい人なんです。

いい人が浮気なんかするかよ、という意見もあるかもしれませんが、そう思う方は同じ倫理観を持った方と一緒になったらいいと私は思います。

私の考えとしては、男性が女性一人に理想を全て完結できるというのは稀有なことで、女性に全く問題がなかったとは言い切れないだろうと。
それは男性のみならず女性にも適応しうると思います。

「不倫か…欲深いな、後先考えてるんだろうか」とは思いますけどね。

 

先日帰郷して、呼吸器の付けられた眠ったままの父の顔を見たとき、あんなに憎かったはずなのにすごく涙が出てきて、「あぁ、親父なんだな」と当たり前のことを実感しました。

久々に母の顔を見て、皺が増えたな、とも思いました。

憎かったものをどっかに置き忘れてきちゃったかな、と思うほど心の波が穏やかな一方、自分の気分が沈んでいく感覚がありました。 

 

私の気分が沈んでも、助けてくださったのは周囲の方々でした。

沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありってやつですね。

ほんと、私って周りの人に恵まれていて、運がいいなって思います。

そして大変お気遣い下さったAさんに私がとても感謝していることを、ここで述べておきます。

 

長くなりすぎましたね。

キリがないのでこの辺で。

季節の変わり目、どうかお身体にお気をつけて。

風邪が早く治って体力がつきますように、お祈り申し上げます。 

匆々頓首

宮城

 

T・A様足下

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家族の話(Aさんへ)

送付日:2015/09/10

恋は盲目の話

復拝。夏はまだ健在でしょう。

沖縄の空を見ればそれがわかる。


京都では紅葉が枝を揺らしているからとはいえ、沖縄の夏、ゆめゆめ疑うことなかれ。

 

沖縄は時間がゆっくりと流れていて、そのまま時間が止まってしまうのではないか、と心配してしまうほど。

しかしそれも杞憂だね。

任侠映画にお熱の某教授からは、「ゼミのレポートの〆切が近づいています。読むのを楽しみにしております。」という旨の連絡が毎週来る。
おかげで日付を忘れるようなことはない。
教授には感謝しなきゃ。えーん。

 

沖縄に帰省したのは、勿論、年金関係の機関に行かねばならない、研究の資料を集めないといけない、ということもあるのだけど、一番の目的は猫チャンに会うため。

メイ、ジョニー、サリー、ジャボ、まろ、クリスティーナ。
今は亡きララ、トラ、ラッキー、ハッピーにも挨拶に。

十人十色、いや、十猫十色。

猫は可愛いよ、見ていて飽きない。
しかし、私の「可愛い」はUのそれとは随分違うようだね。
今度、手紙の送るネタに詰まった時に、彼らがどれだけかわいいか熱弁するから、覚悟しといて。

 

話変わるけど、昨日の関空発・那覇空港着の飛行機で、私が通路側の座席に腰掛けようとしたところ、通路を挟んだ座席に腰掛ける女の子(一九〜二三歳くらい?韓国語を話していたが、アジア人は特に年齢が若く見えるので正確にはわからない)が、

「席を交換してくれませんか」

と片言の日本語で話しかけてきた。

もちろん断る理由もないので快諾し、席を交換した。

不思議に思っていると、私の座る予定だった席の隣の席の男性と大変アツアツのアベック(死語?)だったということが後々わかった。
通路を挟んで、WOW, CAN’T TAKE MY EYES OF YOU  (deep kiss) をしていて、彼らの間にはパーソナルスペースというものが存在しないことを理解した。

人間の視界はおよそ200度であるらしい。
猫は250度ほどという。
私がパソコンで真面目にレポートを書いているふりをして、彼・彼女らの世界を傍観することができたのは、200度の視界を持ち合わせていたからだ。

F教授のみならず、私の目が正常であることにも感謝の念を尽くしたい。

 

それはそうとして、私には、若干Jくんの気持ちがわかった。

確かに私にもそういう時期があった。
若かりし頃。

しばらくそういうのをしていないうちに、なんだか急に老け込んだ…というか私の青春ってなんだったんだろう?と俯瞰できるくらいにはお婆婆になれたような気がした。

恋愛は人を盲目にする。
これは先に述べた通りに。
馬鹿になっちまって、正常な判断ができなくなる。
だからWOWでOMGなことも気にならないのだ。

若い。
若いということはいいことですな。
今を楽しまねば損ですね。

 

今回もまたとりとめのないお話になってしまった。

書いてる間に悲しくなってきたので、これにて筆を置くことにする。

塾の子供らによろしく。

匆々頓首
恋愛ばあば 宮城拝

C・U様

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恋は盲目な話(Uへ)

送付日:2015/10/02

手紙を送る理由

拝啓。

京都は朝晩が涼しくなってきましたが、ここ沖縄の実家から海を眺めると、まだ夏の生き残っているのがわかります。

ソウルにはまだ夏の面影はありますか。

 

あの三月の大雪の二日後、一人雄々しくソウルという荒波に船出するJを、三条のバス乗り場にて万歳三唱で送り出してから(大袈裟?)、もう六ヶ月になります。

人生航路の首尾は上々ですか?

こんなことを訊ねると、「ながちゃん、まずは自分の心配を…」と仰るかもしれない。
よく言われます。
Uさんにも言われる。
塾生らも、内心ではそう思っているのかもしれない。

 

旅立ちの前夜、今度の夏に韓国に行くと「宣言」して、それを果たすことができたのはとても良きことでした。
というのも、Jと八月の初旬に再会するまでの五ヶ月の間、私は京都と沖縄を行ったり来たりしていたからです。

 

なぜまた急に手紙なのか、と思うかもしれません。
勿論ルミナリエの時に、Jが帰国したら手紙を書くね、という旨の約束…というより「宣言」の責任感が無かった訳ではないですが、それ以上に、「久々に手紙書こうかな」と思う契機がありました。
それがJに手紙を書こうと思った大きな動機です。

これから説明します。

 

小学生の頃、私はよくお手紙をもらっていました。
友達がハワイにしばらく移住していたからです。
当時友達が少なかった私は、偏った狭く深い交友関係をしていて、特に数少ない友人の一人がハワイに引っ越すということになれば、それはもう悲しかった訳です。

とにかく寂しかったので、その友人とお互いに「沖縄に帰ってくるまで手紙を出す」という原始的な約束をして、彼女が日本に帰国するまでの四年間、一ヶ月にほとんど毎日のペースで手紙を頂いていました。

しかし、私は手紙をもらうばかりで、一向に返信できずにいました。
それはもう3か月〜半年に1回出すレベルの少なさでした。
考えは頭の中でぐるぐるしているのに、文字に描き起こせなかったのです。

 

友人と文通をして、何か大言壮語しようと努めたり、詩人を気取ったり、カッチリとした目的を持って書いたり…そういう類のことは、自ずと「失敗書簡」になっていました。

何が言いたいかというと、友人に送る手紙のほとんどは、伝えなければいけないことなんて結局は無かったのです。
(ちなみに、その友人とは今もいい友達です。彼女は今東京の大学で空手や勉強を頑張っているみたい。)

 

「折角俺の時間を割くのだから、もっと有益な手紙をよこせ」
って思っていることと思います。

ホント、そうですよね。

 

今回Jにお声かけする以前にも、幾度かJにお手紙を書こうとしていました。

 

卒論に勤しんでいる折には「頑張れ」と励ます手紙を書こうと思った。
でもよくよく考えると、私が言わずとも、Jは頑張る方である。
だからと言って「頑張るな」とも言い難い。

自分の報告でもすりゃあいいんでしょうが、毎日バイトでがむしゃらに働いていても、そんな身に沁みるような有益な思いをすることは、そう多くない。
だからか、文に書き起こすようなこともそんなにない。

何を書こう…と考えているうちに、ますます書けなくなり、その上、文章の相談のつもりで始めたやり取りが嚆矢となり、文通相手が二、三とどんどん増えてしまった。

延びに延びて、遅くなっちゃって、ごめんなさい。

 

私は昨日、沖縄に帰省しました。
自分の部屋に久々に入って、籠一杯に入った旧友との手紙を掘り起こして読み返していたら、「しょうもないことばっかり書いているな」と思ったの。

ただ何となく相手と繋がりたがっている言葉だけが飛行機に乗って運ばれて、伝心しているのかな、と昔の文通を読み返して感じました。

送った側のヒヤヒヤ感や、届く側のウキウキ感、いざ届いた時の封を開けるドキドキ感。
当時の私は今より文通を知っていたように思います。
…というのは、あくまでも持論です。

 

これは、私が「内容のない文章を書いていることをご放念ください」、という意味で言っているわけではないこと、お含み置きください。

いや、少し思っているかもしれない。

 

ところで、アメリカの航空券を放ってでも韓国に行けたことは、自身の中で正解だったな、と思っています。
先述したように、実は韓国に行く前、韓国行きを諦めるか、アメリカを諦めるか、事情があまりにも急な話だったこともあって、悩んでいました。

そんな折にJから素敵なお誕生日のメッセージを頂いて、Uも「一緒に行きたい」と言ってくれて、訪韓を断る理由なんてありませんでした。
結果的に、Jの優しさに触れられて、Uさんの面白さを再確認できて、勿論自分の改善点も見つかって、멋진旅行になりました。

 

なぜ手紙を送る相手がJだったのか、ということがまだ言えてなかった。
東京にいる友人だって、誰だってよかったはずですから。

 

結論を正直に言うと、あまり深い理由はございません。

連絡しないのが家族で、理由がなくても連絡できるのが友達で、理由を作って連絡したくなるのが恋人、と聞いたことがあります。

ただ、Jはとても親切で聡明な方ですから、書いたら白ヤギさんみたいに破ったり食べたりしせずに読んでくださるんじゃないか、と思いました。
それに、個人的に、Jはめちゃくちゃ機転がきいて、そして面白い。

また会った時にでもお話を伺いたいな、と思ったから、Jにお手紙を書かせていただきました。
お世辞じゃないよ。

私は、Jと出会えたことに、とっても感謝してます。

 

結局落としどころが見つからずにずるずると長引いて、こんな手紙になってしまった。
そろそろ切り上げます。
手紙を書いている間、Jと喋っているようで楽しかったけれども、Jが楽しいかどうかはまた別の問題になる。

お身体には、お気をつけて。

またお会いできることを楽しみにしてます。

 

匆々頓首

宮城拝

S・J様 足下

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手紙を送る理由(Jへ)

送付日:2015/09/04

ブログを書き始める

友人の勧めでブログを書き始めることにした。

ほぼ読む専だけど、たまに清書前の手紙とか日常のつぶやきとか、アップできたらいいなと思ってる。

だいたい記録。

よろしくお願いします。

 

追記 U氏、君は誘ったからには読むんだぞ~。