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ひきこもごも 書簡録

気が向いたら書く

 書簡録

手紙を送る理由

拝啓。

京都は朝晩が涼しくなってきましたが、ここ沖縄の実家から海を眺めると、まだ夏の生き残っているのがわかります。

ソウルにはまだ夏の面影はありますか。

 

あの三月の大雪の二日後、一人雄々しくソウルという荒波に船出するJを、三条のバス乗り場にて万歳三唱で送り出してから(大袈裟?)、もう六ヶ月になります。

人生航路の首尾は上々ですか?

こんなことを訊ねると、「ながちゃん、まずは自分の心配を…」と仰るかもしれない。
よく言われます。
Uさんにも言われる。
塾生らも、内心ではそう思っているのかもしれない。

 

旅立ちの前夜、今度の夏に韓国に行くと「宣言」して、それを果たすことができたのはとても良きことでした。
というのも、Jと八月の初旬に再会するまでの五ヶ月の間、私は京都と沖縄を行ったり来たりしていたからです。

 

なぜまた急に手紙なのか、と思うかもしれません。
勿論ルミナリエの時に、Jが帰国したら手紙を書くね、という旨の約束…というより「宣言」の責任感が無かった訳ではないですが、それ以上に、「久々に手紙書こうかな」と思う契機がありました。
それがJに手紙を書こうと思った大きな動機です。

これから説明します。

 

小学生の頃、私はよくお手紙をもらっていました。
友達がハワイにしばらく移住していたからです。
当時友達が少なかった私は、偏った狭く深い交友関係をしていて、特に数少ない友人の一人がハワイに引っ越すということになれば、それはもう悲しかった訳です。

とにかく寂しかったので、その友人とお互いに「沖縄に帰ってくるまで手紙を出す」という原始的な約束をして、彼女が日本に帰国するまでの四年間、一ヶ月にほとんど毎日のペースで手紙を頂いていました。

しかし、私は手紙をもらうばかりで、一向に返信できずにいました。
それはもう3か月〜半年に1回出すレベルの少なさでした。
考えは頭の中でぐるぐるしているのに、文字に描き起こせなかったのです。

 

友人と文通をして、何か大言壮語しようと努めたり、詩人を気取ったり、カッチリとした目的を持って書いたり…そういう類のことは、自ずと「失敗書簡」になっていました。

何が言いたいかというと、友人に送る手紙のほとんどは、伝えなければいけないことなんて結局は無かったのです。
(ちなみに、その友人とは今もいい友達です。彼女は今東京の大学で空手や勉強を頑張っているみたい。)

 

「折角俺の時間を割くのだから、もっと有益な手紙をよこせ」
って思っていることと思います。

ホント、そうですよね。

 

今回Jにお声かけする以前にも、幾度かJにお手紙を書こうとしていました。

 

卒論に勤しんでいる折には「頑張れ」と励ます手紙を書こうと思った。
でもよくよく考えると、私が言わずとも、Jは頑張る方である。
だからと言って「頑張るな」とも言い難い。

自分の報告でもすりゃあいいんでしょうが、毎日バイトでがむしゃらに働いていても、そんな身に沁みるような有益な思いをすることは、そう多くない。
だからか、文に書き起こすようなこともそんなにない。

何を書こう…と考えているうちに、ますます書けなくなり、その上、文章の相談のつもりで始めたやり取りが嚆矢となり、文通相手が二、三とどんどん増えてしまった。

延びに延びて、遅くなっちゃって、ごめんなさい。

 

私は昨日、沖縄に帰省しました。
自分の部屋に久々に入って、籠一杯に入った旧友との手紙を掘り起こして読み返していたら、「しょうもないことばっかり書いているな」と思ったの。

ただ何となく相手と繋がりたがっている言葉だけが飛行機に乗って運ばれて、伝心しているのかな、と昔の文通を読み返して感じました。

送った側のヒヤヒヤ感や、届く側のウキウキ感、いざ届いた時の封を開けるドキドキ感。
当時の私は今より文通を知っていたように思います。
…というのは、あくまでも持論です。

 

これは、私が「内容のない文章を書いていることをご放念ください」、という意味で言っているわけではないこと、お含み置きください。

いや、少し思っているかもしれない。

 

ところで、アメリカの航空券を放ってでも韓国に行けたことは、自身の中で正解だったな、と思っています。
先述したように、実は韓国に行く前、韓国行きを諦めるか、アメリカを諦めるか、事情があまりにも急な話だったこともあって、悩んでいました。

そんな折にJから素敵なお誕生日のメッセージを頂いて、Uも「一緒に行きたい」と言ってくれて、訪韓を断る理由なんてありませんでした。
結果的に、Jの優しさに触れられて、Uさんの面白さを再確認できて、勿論自分の改善点も見つかって、멋진旅行になりました。

 

なぜ手紙を送る相手がJだったのか、ということがまだ言えてなかった。
東京にいる友人だって、誰だってよかったはずですから。

 

結論を正直に言うと、あまり深い理由はございません。

連絡しないのが家族で、理由がなくても連絡できるのが友達で、理由を作って連絡したくなるのが恋人、と聞いたことがあります。

ただ、Jはとても親切で聡明な方ですから、書いたら白ヤギさんみたいに破ったり食べたりしせずに読んでくださるんじゃないか、と思いました。
それに、個人的に、Jはめちゃくちゃ機転がきいて、そして面白い。

また会った時にでもお話を伺いたいな、と思ったから、Jにお手紙を書かせていただきました。
お世辞じゃないよ。

私は、Jと出会えたことに、とっても感謝してます。

 

結局落としどころが見つからずにずるずると長引いて、こんな手紙になってしまった。
そろそろ切り上げます。
手紙を書いている間、Jと喋っているようで楽しかったけれども、Jが楽しいかどうかはまた別の問題になる。

お身体には、お気をつけて。

またお会いできることを楽しみにしてます。

 

匆々頓首

宮城拝

S・J様 足下

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手紙を送る理由(Jへ)

送付日:2015/09/04