復拝。先日は和太鼓ドンの自主公演に誘ってくれてありがとう。
月並みな表現だけど、久々に会えてとても嬉しかった。
よく「社会人になったら出会いなんてナイナイ」なんて大人の方々から耳にする/したけれど、これはなるほど、あながち間違っていないかも、と最近思う。
実際に私が大学を退いてからのことを振り返ってみると、ほとんど会社の人、クライアント、パソコン画面、資料の山、たまに医者とにらめっこしているような具合だ。
会社に縛られているという意識があると、仕事が終わったって、あるいは仕事が休みになったって、一緒にいる人は大学時代より限られているように思う。
私の場合は、体調を拗らせて酒も以前ほど飲まなくなったし、入院でもしていなければ、今の彼氏とも出逢わなかった。
(私の大学時代に於いて、出会いの大半は酒の場だった。なぜなら大学にあまり行かなかったから)
名刺交換会や異業種間交流のイベントに何千何万もの男女が集るのにも、高い高〜い婚活パーティに男女が申し込むのにも、出会い系サイトにあれだけ世代問わず人が溢れかえっているのにも、うむ、納得がいく。
だからといって、大学時代クラスが一緒になった人たちともっと話せばよかった、とは思わない。
協調性の努力は、時に不毛な時間を生み出す。
出会いとは淘汰されるものだ。
私は千原せいじやフジモンみたいに、人の心のシャッターを上手に、あるいは強引にバールでこじ開けることができる人間ではない。
興味関心の方向があまりにも違う大人数で群れることを”充実”と呼ぶ人間でもない。
一緒に居て楽しくて面白くて、互いに本音を共有できる友人を大事にしたいと思う。
これは今も昔も変わらない。
そういうわけで、先日は、本当に楽しかった。
そもそも大学時代の友人と滅多に会うことがないし、過ごしていて時間が経つのが早いと感じたり、本音で喋って腹がよじれるほど笑えたのは、久々だった。
社会人になってたった1年で、これほどまでに人間関係が変わるとは思いもよらなかった。
だから、いい友達に出会えたな、と改めて思ったよ。
先輩方からは「宮城は猫の尻ばかり追いかけている」と噂され、大学時代の知人には「今どこにいるの?」と心配され、高校の同級生には「ながちゃんはアメリカ人になった」と誤報が流れ、中学の同級生には「フリーペーパーで見たことある」とまで言われて(もちろん一回も載った事ない)、最早私の見る影はどこにもない。
それでいい。
知っている人だけ知っていてくれればいいのよ。
頓首
愛嬌の足りない宮城拝
愛嬌溢れる友人Uへ
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久々の再会(Uへ)
送付日:2018/02/27